SIerではないビジネスを選択した理由

投稿者:minoru61

SIerではないビジネスを選択した理由

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ビジネスは他業界から学ぼう

「The Machine That Changed The World」という本を紹介しました(こちら)。今から約100年前の1908年のことです。FordのがModel Tと言う、20世紀を代表する車を作りました。これがMass Production(大量生産)の始まりです。それ以前はCraft Production(クラフト生産)と呼ばれており、熟練工が車を一台ずつ作っていました。この生産方式には自動車の普及段階では大きな問題がありました。(この生産方式は一部のクラシックカーで今でも続いております)

  • 生産するのに高いスキルの技術者が必要
  • 同じ設計図をもとに作っても一台ずつ品質が違う
  • 一つのモデルの年間の生産台数は1000台ぐらいが限度
  • 保守が難しいので顧客は保守のエンジニアを雇わざるを得ない
  • 裕福な人しか車を持てない

何かどこかで聞いた話ですね。ソフトウェア業界は今もほとんどがクラフト生産をしているのではないかと考えてしまいます。2つ目の会社としてSIerを選択しなかったのは、この本と深く関係しています。1つ目の会社は文字通りSIerでした。一番辛かったのは品質問題です。NTTの仕事をしていましたので、品質に厳しかったのです。よく、「テスト不足なので品質が悪いのだ!」と言う人が多いですが、テストの項目については「どれくらいの規模のプログラムでどれだけのテスト項目が必要」などという決まりは当然あり、その通りに項目数を増やしてテストをしておりました。

自慢ではありませんが、私はテスト項目を思いつくのには自信がありました。まさか、ユーザはこんなオペレーションをしないだろう!と言うような項目まで入れておりました。それでも品質は良くならないのです。私は直感的に何かやり方が悪いのだろうと考えておりました。そして、大学の授業でオブジェクト指向などを積極的に取りました。一度社会経験があるので、授業の選択の仕方もその方向に進みます。主に、ソフトウェアエンジニアリング系とAI(当時はエキスパートシステムと呼んでいた)の授業を取りました。米国の大学はMajorとMinorという考え方があります。”What is your Major?”と聞かれると、”My Major is Computer Science.” と答えます。そして、”Minor is Expert System.” となります。

リーン生産方式とは?

少し話が逸れたので、もう一度Lean Production(リーン生産方式)の話に戻ります。「The Machine That Changed The World」の本にはFordが成し遂げたイノベーションである「大量生産方式」を、日本の小さな企業がぶち壊して「リーン生産方式」というイノベーションを行ったことが書いてあったのです。そのリーンの始まりは、トヨタ自動車の若い技術者がFordの工場を訪問することから始まります。

ここからは正確に伝えた方がいいと思いましたので英文と併記して説明します。この本には以下のように書いてありました。

The Japanese were developing an entirely new way of making things, which we call lean production.

日本語訳:日本人は、リーン生産方式と呼ばれるまったく新しい物作りの方法を開発していました。

1950年の春にトヨタの豊田英二氏がFordを訪問しております。本には以下のように書かれております。

In the spring of 1950, a young Japanese engineer, Eiji Toyoda, set out on a three-month pilgrimage to Ford’s Rouge Plant in Detroit.

日本語訳:1950年の春、日本の若いエンジニア、豊田英二は、デトロイトにあるフォードのルージュ工場への3か月の巡礼に出発しました。

トヨタは創業から1950年までに2,685台の自動車を生産しましたが、ルージュ工場では1日で7,000台を生産していたそうです。そして、デトロイト訪問後リーン生産方式への厳しい道のりが始まりました。

Eiji was not an average engineer, either in ability or ambition. After carefully studying every inch of the vast Rouge, then the largest and most efficient manufacturing facility in the world, Eiji wrote back to headquarters that he “thought there were some possibilities to improve the production system.

日本語訳:豊田英二氏は、能力的にも野心的にも、平均的なエ​​ンジニアではありませんでした。当時世界最大かつ最も効率的な製造施設であった広大なルージュ工場の隅々まで注意深く研究した後、英二氏は本社に次のように返信しました。「生産システムを改善する余地があると思う」

But simply copying and improving the Rouge proved to be hard work. Back at home in Nagoya, Eiji Toyoda and his production genius, Taiichi Ohno, soon concluded—for reasons we will explain shortly—that mass production could never work in Japan. From this tentative beginning were born what Toyota came to call the Toyota Production System and, ultimately, lean production.

日本語訳:しかし、ルージュ工場を単にコピーして改良することは大変な作業であることがわかりました。名古屋に戻った英二氏と生産の天才である大野耐一氏は、すぐに、後で説明する理由から、日本では大量生産は不可能であると結論付けました。この暫定的な始まりから、トヨタがトヨタ生産方式と呼ぶようになったもの、そして最終的にはリーン生産方式が生まれました。

日本では大量生産が難しいという理由は以下です。ここは長いのサマリー情報だけ記載します。

  • 大量生産をしても国内市場は小さすぎて売れない
  • 海外には自動車メーカが多く、輸出して販売する力はまだない
  • 一方、国内の市場では高級者から農家のミニトラックまで多様な車種が求められている
  • 多様な車種の自動車を作るためには部品の金型を頻繁に変更しなければならないが、世界最先端の自動車工場でもその技術がない

大野氏はその後何年もかけてこの金型を簡単に誰でもが変更することができるようにする方法を開発しました。そして、ついに1950年代終わりごろにその方法を開発しました。そして、その方法を利用することで、大量の部品を一度に作成するよりは、バッチサイズを小さくして少量の部品を作成する方がコストが安くなることを発見します。これがトヨタ生産方式の始まりでかつ世界を唸らせたリーンプロダクション方式の始まりでもあります。

バッチサイズを小さくするという考え

当時(1992年ごろ)、米国にいた私は車がないと話にならない地域に住んでいたので、知り合いと頻繁にディーラーに出向いておりました。不思議なことに米国には新車の在庫がいっぱいあったのです。その頃日本では、新車はディスプレイの1台だけおいてありました。米国の新車の在庫は一台ずつ違うスペックでした。オートマチックのものマニュアルのもの、パワーステアリングが付いているもの、ついてないもの。エンジンのサイズの違いなど。米国では、自分が気に入った車を乗ってみて、大丈夫だと思ったら購入します。一方日本では、試乗車がおいてあって、その車が気にいると、パンフレットに書いてあるタイプやオプションを加えたり削ったりしながら見積もりを作ってもらい、顧客は多少のスペックを変更して予算と好みが合うとその車を発注します。そして、1ヶ月後に本当に新品の車が納品されます、ディーラーの人はそれにリボンなどを貼って写真を撮り納品のセレモニーを行います。

もちろん車に関する意識が多少米国と日本では違います。米国は他人がいい車だ!と言っているのはあまり信用しないで、自分でいい車かどうかを確認します。また、多少のオプションの違いは気にしません。一方日本は、誰かの推薦でいい車だ!というのを信頼するし、品質の問題はほとんどありません。一方で、細かいオプションの違いで自分の車であるということを誇るところがあります。なので、米国と日本の顧客の買い方の違いでこのようなディーラーになっていると思います。しかし、日本の場合は同じ車種でも名前の違う車がいっぱいありました。日本の顧客はその頃から多品種少量生産出ないと満足しない状況になっていました。そのため日本の自動車メーカーはバッチサイズを小さくして顧客のニーズに応えていたところが大きいと思います。

この本を読んだ後に、私は、SIerのビジネスはクラフト生産方式であり、パッケージのビジネスは大量生産方式であると考え始め、SIerに戻ることを考えませんでした。いつかSIerのビジネスは縮小する時があるのだろうと考えました。そしてパッケージビジネスを選択したのですが、長い間、リーン生産方式に当たるものはソフトウェア業界ではどういうものなのか?を考え追求してきました。この先はまた別途書きたいと思います。

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